どうもこんにちは。ネトヲです。
私はLLMに教えてもらうまで「クオーターライフクライシス(QLC)」という単語をしらなかったのですが、年末から年明けに書けてとてつもない「QLC」が押し寄せました。
いまはだいぶQLCで押し寄せた不安みたいなものは消え去って、平常運転にもどりつつあるわけですが、折角なのでその一連の流れを書き留めておきます。自分用です。
きっかけ
ありがたいことに、毎年、前職の同期が開催している忘年会に誘ってもらってまして、去年はキャンセルしたのですが、今年は行こうかなと思って参加。これが始まりです。
中途で入った今の職場とはことなり、前職は新卒で入社しているので皆ほぼ同年代。
皆、30歳手前なので、仕事の話もしつつ私生活の話が中心になります。
そこで同期らの話をきくと「離婚して(早ッ)マッチングアプリで彼女作った」「社内恋愛している」「最近遠距離になった」「ライブ会場で彼女作った」など、私の住んでいる世界ではまず交わされない会話で持ちきりになりました。
とうぜん、私にも「そういえばネトヲはどうなん」と訊かれる訳ですが、そこでふと
あ、普通の人間って彼女いるんだ
と意識するようになりました。
「彼女いない歴=年齢」の私
学生時代はよくて女友達ができたくらいで、社会人になってからはそれすらも無くなりました。
そして転職して今の職場で働くようになってからは、研究組織という圧倒的男性社会に身を置いたことと仕事の忙しさも相まって、彼女という概念を完全に消失していました。
そこに突然割って入ってきた「彼女」という概念。
周りを見渡すと仲の良い友人、姉や従姉妹も結婚していて私だけぽつーんと一人立っているそんなイメージが湧き上がって、決意します。「オレも普通になるためマッチングアプリしよう」と。
傲慢だった私
私は平均身長以下の不細工です。この年齢で彼女いなことないんだからそらそうだって話です。
それがコンプレックスなんですが、とはいえ容姿に対して投資したことはほぼありません。
職場環境もあるのですが、「同じ属性の人間の2倍稼いでいる」という驕りが一番大きいです。
結局世の中金だろうと。不細工でも収入が高ければ女が寄ってくるだろうというクソみたいな考えが根底にありました。(あえて汚い言葉を使っててます。不快に思われた方申し訳ございません。)
なので、マッチングアプリについても無双とは行かないけど、2,3人くらいとはマッチして1人くらいはリアルで会えるだろうなと意気揚々とマッチングアプリを始めます。
全くマッチしないマッチングアプリ
というわけで、数少ない自撮り写真と自慢の年収を引き連れてマッチングアプリを開始します。
その結果をお察しの通り。全くマッチしない。
奇跡的にマッチし会話しようとしてみるも返信がなかったり、マッチした人のプロフィール写真が橋本環奈のような美少女で自己紹介文が明らかにテンプレという業者なのかカモを探している悪い人ばかりです。
私からの「いいね」をトリガーにしてプロフィールを見てくれた(いわゆる「足あと」)人間とは一切マッチングせず。
趣味が共通しているとか年齢が近いとか、同郷とか、性格の相性がいいとか、色々条件は合致しているのに「いいね」がきません。
このような状況なので私は頭がおかしくなり、仕事そっちのけでマッチングを開いては「いいね」がきてないかの確認と「足あと」の確認、また私からの「いいね」を送ったりしていました。ごめんなさい。
このままでは無料会員で使用可能な「いいね」がすべて空振りになってしまう、という状況を危惧した私は数打ちゃ当たる戦法で40歳未満の女性についても対象としプロフィール欄だけみて「いいね」を送ります。でもダメでした。
世の中外見(見た目)
そう結局コレなんですよね。
みな口を揃えて「性格が良ければいい」「フィーリングが大事」「容姿は普通でいい」といいますが、結局、人間外見が全てです。
外見が良くなければ内面を知るきっかけすら無いわけですから。
という事で3日ほどやってみたマッチングアプリにブチ切れ、退会しました。
マッチングアプリをやったことがある人なら分かるかと思いますが、そもそもの想定ユーザに私のような人間を想定していないんですよね。
たとえば性格診断のようなアンケートをやってみると「過去のパートナーとのメッセージ頻度は」「何処で知り合った」みたいな設問があるわけですね。なのでアンケートがまともに進まないワケです。
そんなこんなあって、マッチングアプリによって更に深い傷を負った私。
普通になれない自分が嫌いで、いっそ整形でもしたろうとも思ってました。
アンパンマンの歌詞「何のために生まれて、何をして生きるのか」という問いが常に頭にあって、そのたびに自分が何者で自分はこのままの人生でいいのかと考えては、答えが出ない日々が続きました。
転機
こんな悩み誰にも言えないので自分の中で抱え込んでいたのですが、なんか知らんけど母やらLINEがきました。
内容は「昔ならってた同じピアノ教室の生徒さんに○○っていたじゃん。その人東京でシンガーソングライターとして活動しているらしくて来週下北沢でライブするらしいよ」というものです。
ライブなんて社会人になってからいってないしそもそも外出嫌いな私なので、普段なら断る話ではあるのですが、当時はQLC中で常に正解のない答えを探していた私。気晴らしになればということで行くことにしました。

会場は「mona records」というこじんまりとた場所で、入室すると顔見知り通しで話している空間が広がる陰キャには非常に厳しい雰囲気。正直抜け出したかった。
そんな杞憂はライブが始まると吹き飛びました。
霧が晴れた日
脳天を揺らすバスドラやベース、空間を支配していくるボーカルやギータ、ピアノ。久しぶりのライブということもあって陶酔しました。
特に目的のアーティストのステージは圧巻で、暗闇に光るテイラーのギター、ピアノの神々しさと圧倒的なボーカル。一人で完全に会場を掌握していました。
私はこの瞬間、こう思いました「オレもあの場に立ちたい」と。
ステージ後にそのアーティストの方と数回談笑している中で、その思いは強くなりました。
私は見通しがいい人生のレールを歩んでいる中で”普通”になろうとしている。
でもそのアーティストは自分で道を切り開いてレールを敷設しその上を歩んでいる。見通しは良いとは言えないかもだけど後ろを振り返すと各所に自分の生きた証が残っている。
大多数の意見や思想にとらわれてソレを目標に生きて完遂する人生である必要は全くなくて、自分がどうありたいのか自分が人生をかけてやりたいことはなんののか。
そんな事を考えているうちに、今までの悩みが全部吹っ飛んだというかどうでも良くなって、世界が見違えて見えるようになりました。
(余談としては私の推しである「文坂なの」のポスターが偶然控え室に貼ってあって興奮したという)
そして今
日常生活が大きく変わった訳ではないのですが、地域のボランティア活動に参加するようになったのと、本気でギターを練習するようになり、他人の目(相手からどう思われているだろうかなど)をさほど気にすることがなくなりました。
転機となったライブに行った半年前くらいからギターを週3回ペースくらいで弾くようになっていましたが、今は毎日弾いています。
これまでの仕事中心の生活からギター中心の生活にややシフトしたことで、プライベートとの境界線がはっきりし、仕事に対するモチベーションもあがりました。

来月、所有しているバイクの1台が車検を迎えるのですが、車検を取らずに売却しその資金を元手に、ステージを想定としたアコギを一本調達する予定です。
調達にあたり、色々と試奏はしているのですがまだ自分が納得できるギターに出会えておらず、絶賛お悩み中です。

ギターに限らずですが、IT機器のように値段が高いほどに機能が豊富で下位モデルの上位互換、という世界でもなく、安価だけども高価格帯のモデルよりも抜群に弾きやすいなんてことはザラにある世界なので更にややこしくなってます(笑)。

まとめ
ということで、QLCから抜けだすきっかとなった出来事について書いていきました。
まだ、QLCから完全に抜け出せてはいないと思いますが、深く人生について考える時間はめっぽうなくなり、少しだけ人生が楽しくなってきたそんな心境の変化がありました。
一人で悩んでいても答えはでません。部屋に引きこもっていたりチャッピーに問いかけていても何も変わりません。
そんな時は普段行かない街を歩いてみたり、昔すきだった事柄に関するお店に行ってみたり、新しい事を始めたりするなどして、悩みを上書きできる何かを見つける。これが私なりのQLCを抜け出すためのメソッドです。
